本舗の“キテレツ!?”人生.com:② 【「“考える”スイッチ」→“ON!”】【“考えすぎ”の美学…??】
“自分は個性的すぎる人間だ”
“なんとしてでも「普通」になりたい”
“「普通」になるには「個性」を消し去ることだ”
“そのためには“空気のような存在”になることだ”
(↑このような)極端すぎる考えに行き着いた結果、いよいよ本格的に“人とのコミュニケーションのとり方がわからなくなってしまう”という、まさに“SOS!”といっても過言ではない事態が発生します。
…はてさて、どうなっちゃうことやら……!?
「“考える”スイッチ」→“ON!”
僕には、(あるひとつの)※「ものごと」に“フォーカスを当てる(訳:焦点・ピントを合わせる)”と、
■内蔵されている「性質」■
( ※「ものごと」に“フォーカスを当てた”イメージ図)
「“考える”という行為」
↓(引き寄せる)
“考える”→「ものごと」←“考える”=「考えすぎる」
↑
“考える”
…………ん??
つまり、どういうことかというと…
■脳内プログラム【設定:シコウテイシ_モード】■
「ものごと」←{[“考える”に値しない事柄である]と察知→[考えるだけ“ムダ”である]と判断}(=「思考停止」)
といった
また、たとえ“考える”という行為そのものに苦しさを覚えても、何らかの要因により「“考える”スイッチ」→“ON”に切り替わると、自分でも制御不能な状態(=「思考の暴走モード」)に突入します。
■思考の暴走モード:解除方法■
- 暴走状態の「
鎮静 (クールダウン)化」←『そのとき』を“ただひたすらに待つ”
はたして、
- あらゆる“考える”をシャットアウトする(=常に「無」の状態をキープする)
(“考える”に使用する脳の容量:「5〜25%程度」にとどめる)で“考える”ほどよいかげん
…など、“考える”を自由自在にコントロールするための「コツ」は存在するのでしょうか。
…もしかして、なにか特別な鍛錬を受けた者にしかたどり着くことのできない“境地(=コツ)”だとか?……なんてね。
“考えすぎ”の美学…??
一般的に、「動詞 or 形容詞」+「“〜すぎる”(=過剰)」という「複合語」は、マイナスなイメージとして使われるケースの方が多いのではないでしょうか。
例)食べすぎる、暑すぎる、寒すぎるetc.
もちろん、僕の「性質」のひとつである“考えすぎる”も例にもれず、やはり“ネックになっちゃってる感”は否めません。
ところが、「ファン歴=かれこれ12、3年」である“日本最古”の※青春パンクバンド「ガガガSP」に、まるで
※青春パンク(ブーム)・・・2000年代前半に突如として巻き起こった一大ムーブメント
アップライトに生きてきた奴の明るいポジティブな仲間意識なんかより
考えすぎの美学を持ってる奴の方がいいのさ
『ローアンドロー 〜土着的な愛の唄〜』/ガガガSP
作詞・作曲/コザック前田
「“考えすぎる”こと=『※2美学』である」
【美学】(びがく)とは…
※1美の本質、美的価値などについて考察する学問
※2“美しさ”に関する独特な考え方や趣味 例)「◯◯の美学」
これぞまさしく発想の展開であり、
とはいえ、全くの見当違いとも言い切れないであろうギリギリのラインを攻めたフレーズなのではないでしょうか。
また、僕のような、日の当たらない、暗く湿った場所=「アンダーグラウンド」(通称:アングラ)で生きている人間にとって、なんだか“自分という存在”を「肯定」してくれているかのような、
力強い生きる意志などは ちょっとした隙間風に吹かれ飛んで行った
帰るあてもなく何思う
何も上手くいかない夜に 友と酒に逃げる
だけど今だけなので 明日になればまた憂鬱が襲う
『家路』/ガガガSP
作詞・作曲/コザック前田
①「ガガガSP」の音楽のルーツである、生活感溢れる「フォークソング」の世界観に「パンク」をミックスし、聴き手の心臓にダイレクトに訴えかける『サウンド』
②“ド真ん中・ド直球ストレート”
①×②=『サウンド』×『フレーズ』の“合わせワザ”(←これって、言うなれば…)
「相反する“
…それは化学反応のごとく姿かたちを次々と変え、
脳天を突き抜け、刺激し、覚醒する…!!」
……みたいな。(…よくわからない)
まるで異世界へトリップしちゃうかのような“中毒性:120%”のグルーヴィーなサウンドを生み出すパンクのエナジィにシビれるゥ……。
結論:“前田節”=最大限まで低下した「自己肯定感」に作用する“処方箋”(…の、ようなもの)